あの震災から、『もう』丸2年なのか、それとも『まだ』2年なのか。
東日本大震災に限らず、大きな事件や災害が起こるたび、そしてその年月を確認するたびに浮かぶ疑問です。
2年前の今日、私は職場で仕事をしていて。
急に吐き気がして。眩暈にも似た脳のぐらつきに立っていられなくなって。
何かがおかしい。とは思っても(何しろ、眩暈や立眩みなんて慣れているので、いつものと違えば解るのですよ)(自慢にならねぇ)、職場内で具合を悪くしているのは私1人。
自分の使っているPCはあいにくネット環境が通じておらず(何しろ、知的財産が入っていたので)、仕事中なので携帯で調べるわけにもいかなくて。
唯一、ネット環境にあるPCをしようしていた人間が、「なんか、ヤバいことになってる……っていうか、何やねん、これ……!??」と愕然とした声を上げるも、当時の上司2人はまぁ、散々ここでも愚痴っていた例のあの人たちなので。それ以上はどうしようもできず。当然、映像も含め何も見ることができず、知ることができず。
そんな状態で、説明しろと言われれば難しいけれど、とりあえず足?地面??がおかしい。何かおかしい。と思いつつもその場では何もできず、帰宅してからその『何か』の原因を知りました。
「ただいま~。疲れた~、ちょっと聞いてよ~!」なんて、いつも通りの言葉とともに家に帰って。そうしたら、携帯電話と家電を片手に、何度も何度もどこかに電話をしている両親がいて。
電源が入っていた、テレビで流れる映像に愕然として。津波警報を表す真っ赤なラインに覆われた日本列島の地図が理解できなくて。とんでもないことが起きた。今現在も起こってる、終わってないことは辛うじて理解できたものの、次々と提供される情報はそれ自体が錯綜し、また情報網が寸断されているのか、「~のようだ」「~と思われます」といった、不確定な状況説明に終始していて。
とりあえず、北海道・東北に住む身内や友人、知人の安否を確認するのに精いっぱいだった、2年前の今日のこの時間。
幸い、『私』の大事な人たちは皆、無事に避難していて。誰一人欠けることがなかったけれど、そうじゃない人がたくさん、たくさんいて。
考えるだけで泣きそうになるけれど、当事者でもない自分が泣くのは違う気がして。
早く傷が癒えれば良い。
少しでも、笑えるようになっていればいい。
なんて、何もできないくせに傲慢なことを考える。
それでも。
いまだ行方不明になっている人が、身元不明になっている人が、1人でも多く、1日でも1時間でも、1分でも早く、愛する人のもとに帰れますよう。
完全に、元の通りには絶対に戻らないけれど、少しでも日常生活に近づいて、そして、また別の、新たな『日常』が訪れますよう。
祈って、そして、 『私』ができることを、する。
働いて。納税して。募金して。働いて、消費して。福島をはじめとする東北地方の名産品や特産品を買う。
それしかできないけれど、それしかできないから、一生懸命に国民の義務を果たす。
そのうえでお金を貯めて、いつか、東北地方に旅行に行く。復興を別にしても、行きたい場所も見たいものも、東北にはたくさんあるから。
そう、改めて自分に確認する日。
1・17、10・23に続いて、3つめの、日。
それから。
たくさんの悲しみが日本を襲った日だけれど。たくさんの不条理が起こった、始まりの日だけれど。
どうかこの日に生まれた方が、自分の誕生日を厭わないように。この日が誕生日であることに引け目や負い目を感じませんように。
誕生日でなくても、何かしらの記念日だった人たちが、普通に笑って祝えますように。どんなに些細な出来事でも、他人から見たらつまらないかもしれない出来事でも、『あなた』にとってそれが嬉しいことなら、それは素敵な日なのだから。
毎日が何かの日で、毎日が誰かの記念日です。
だから。
お亡くなりになった全ての方々のご冥福をお祈りするとともに、『今日』が記念日のあなたへ、「おめでとう」を。
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